あの年の冬はやばかった・・・
希死念慮の一番酷かった時。毎日死ぬことばかり考えていました。
いや、実行するその日を待っていたといった方が近い。
プチごみ屋敷からちょっとだけ脱出できた時。
枯渇していたエネルギーが溜まって、少し動けるようになった時。
死のうと思った人は身辺を片付けはじめるといいますが、正にそんな感じでごみ屋敷から解放できたのです。
ホントは住んでいるボロアパートに火つけて何もかも燃やし尽くしたいと思っていたくらいですが、
それを実行しない躾は身に着けていた、といえばいいかな。
元気な時に死を考えていた時にこう死にたいとかああ死にたいとか色々考えていたことはあったのですが、いざ、そうなるとそんなことはどうでもいい。
ただひたすら楽に確実に、メーワクかけない方法を模索していましたね。
私が実行しようとしていた方法は凍死。
場所は近所の川にかかっている橋の下。
普段からあまり人通りが少ない場所。陰にもなっているから見つかりにくいだろうという場所。
こっちに引っ越してきてから散歩がてらうろうろしていてみつけた場所。
実行日はバイトが翌日休みの日。
これは出勤してこないと思ったバイト先の人が探しにきたり警察に連絡したりしてみつけられてしまうのを防ぐため。
誰も探しに来ないという日を丸一日確保する必要性があったからです、確実に死ぬために。
そして氷点下になる夜。
天気予報で「今夜は氷点下になります」と予報する、翌日がバイト休みの夜を待っていたんです。
そしたら家を出て、行く道すがらのコンビニでウイスキーを一本買って、あの橋の下に行って、そこでウイスキー一気飲みしたらそのうち眠くなって・・・
今こうして書いているということは、実行しなかったということです。
理由?
暖冬でね。氷点下になる夜がその年は三回くらいしかなかったんです。
気づけば春になっていました。
結果死に至ってしまった人は、合致してしまったんだと思います。あるいは死神に魅入られたか。
背中を押されたか。
これも運と言えないこともないのかもしれない。
希死念慮に取りつかれてしまった人はニュースで死亡事故なり事件なり見聞きしても「羨ましい」って思うんですよね。
なんでこんなこと書いたのか、というと、こういうことって元気な奴に言われてもお前になんかにわかってたまるかって聞く耳もたないですよね。
ある本に「生まれてから一回も病気やケガをしたことのない、健康が服着て歩いているような奴は例えその人が善良な人でも友達にしたくない」ってあったんです。
本当の意味で怪我や病気をした人の苦労や気持ちが理解できないからって。
そういうことです。
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