だから忘れる

事故で記憶を失った五人がそれぞれ自分は何者で、この先どう行動するのが正解なのかを探っていきますが。

その記憶は断片的です。ある時は人を殴っていたり、ある時は老人を助けたりしています。

自分はいったいどういう人間なのか?

断片的に思い出す記憶が、「人を殴ってる姿」や「怪しげな密談」ばかりの悪人面だったら、どうでしょう?

自分はろくでもないことばかりしてきた人間だったんだ、と思ってしまうのではないでしょうか?

逆に家族と幸せに暮らしている記憶だとか、席を譲っている記憶だとか、困っている人を助けた記憶ばかりを思い出していたら、自分はそんなことが出来ている人間なんだ、と思えるはずです。

(確か麻薬の密売組織の中に潜り込んでいる警察官で、だからそんなろくでもない記憶があった、のような大逆転の展開だった気がします。)

私がこの映画を観たとき、これが「人が前世の記憶を忘れて業だけの記憶を背負って生まれてく理由」なのではないか、と思ったのです。

1. 前世の記憶と「業」の引き継ぎ

私たちが今の時代、場所、両親を選んで生まれてくるのは、過去の業(カルマ)を背負うためであるという前提があります。 もし現在、特定の人から理不尽な扱いを受けているとしたら、それは過去に自分がその人に対して行ったことの表れ(因果応報)かもしれません。もしそうだとすれば、相手を恨むのではなく、赦すという選択肢が生まれます。

2. 記憶がないことの意味(映画『unknown』からの考察)

記憶を失った人々が「自分はどういう人間なのか」を探る映画『unknownと自己スキーマ』の設定に倣うと、私たちが前世の具体的な記憶を忘れて生まれてくる理由が見えてきます。

  • もし具体的な記憶がすべて残っていたら: 過去の行いや記憶(自己スキーマ)に強く縛られてしまい、今をより良く生きることができなくなってしまう。
  • だからこそ「記憶」はなくし、「業」だけを引き継ぐ: 具体的なエピソードは忘れる一方で、過去の未解決の課題やテーマ(業)だけが今の人生の課題として引き継がれます。

3. 現在の生きづらさと「刷り込み」からの解放

この自己スキーマ(過去の記憶や環境による思い込み)による縛りは、前世だけでなく、今生での育ち方や人間関係(両親からの刷り込みなど)にも共通しています。

  • 「自分はいい子でなければならない」
  • 「自分は悪い人間なんだ」

こうした過去の記憶や他者からの刷り込みに縛られたまま生きるのではなく、一度立ち止まって問い直すことが大切です。

これからの問い

  • あなたはこれまで、どんなふうに生きてきましたか?
  • 本当は、どんな人生を送りたいですか?