お金の話

私の母親は知的障がい者でした。

読み書きそろばん出来ませんでした。よって当然、お金の管理も出来なかったと思います。

でもなぜか父はそんな母親に家計は任せておりましたが、母親と一緒に買い物したのは記憶に一回あるだけです。

2桁3桁の違いは分かっていて、桁が大きいのを出せば足りる、くらいの感覚でしかなかっただろうと推察します。

不安だったのでしょう、「お金がない」が口癖の母親でした。

そんな母親に4人兄弟姉妹、平屋の賃貸、6畳4畳半に台所。

当然、個室どころか専用の机すらなくて、姉と二人で一台の机を使っていました。

実際我が家は中の下の経済家庭だったでしょう。

子供なりにお金を使わせてはいけない、という意識が働いていたのでしょう、色々我慢しました。又みじめな思いもしました。今ここで詳細を書く気はありませんが。


鬱病になった時も、必要最低限だけは稼ごうという思いだけでバイトに行ってました。

それだけで精一杯でした。

やがてあの冬を通り越して、鬱病から快復するためには専門家の力も借りようと思い立ち、ここなら信頼できそうと決めたセラピストの門をたたきました。

医者ではないから当然医療費は実費。そんなかつかつの日々で私はどう考えていたかというと、国民健康保険はきちんとお支払いしていましたが、年金は免除申請してます。そしてこう考えていました。「年金だけでも生活が立ち行かなくなったら、もうその時はその時でどうにでもなればいい」と。

そう、このころはまだまだ生きていくことに対しては低空飛行だったのです。


私は経済的理由もあって結婚という選択肢を選ぶことにしました。

飲食店関係のバイトからスーパーのレジに鞍替えした時に、私と同じくらいの主婦が結構働いていたのをみた時に、また一つ認知がゆがんでいたのに気が付きました。パートさんほぼ扶養内で働いていたのです。

私は「自分の生活は100%自分の力だけで生きていくべきだ、それが普通なんだ」と思っていました。でも実際は扶養内、つまり夫の稼ぎと合わせてお互いに支え合いながらやっていっている人も結構いるということに気が付いたのです。私は上を見過ぎていたのかもしれません。

それと同時に、決して父親の稼ぎは悪いわけではなくて、でも何故お金がなかったんだろうという疑問も常にありました。もちろん、計算できない母親が家計管理などできるはずもないのですが。

それでも経済的な家庭の差はあり、当時のサラリーマンの稼ぎで持ち家はそれなりに大変なのに。

皆が皆、社長や重役になれるはずではないのに、差が出るのは何故?

お金が全てではないけれど、お金があることで救われる心や、広がる選択肢は確実にあります。