N先生の話

あの時、結局死ねなかった。死ぬことが出来なかった。生きる事を選択した。生きるしかないわけだから。せめて両親が死ぬまでは、自ら死を選択するような事はやめようと思った。

何日か後に何かの予定が入っていた。どんな予定だったかは忘れたが、大した予定ではなかったが、じゃあとりあえずその日まで生きてみよう。そして淡々と日が過ぎてその日が来て、用事済ませて、お、今日この日を無事に迎えたなと思う。そんな日々が続いた。

自ら予定を入れた訳ではなくて、あくまでも外部からの予定。まだまだ自分で予定作り出して、なんていう段階ではない。あくまでもゆっくりと低空飛行で毎日を過ごした。

そんな日々を送っていたある日、同居人(この頃には半同棲していた男とは破局していて、バイト先で同じく同居先を探していた同性と同居していた)から「人が訪ねてきたよ」と一枚のメモを渡された。そこにはN先生の名前と連絡先、明日の何時にはここを離れて広島に帰る旨が書いてあった。

本当にたまたま明日は休みだったのですぐに連絡をして、次の日の帰る間際に逢うことが出来た。実に25年ぶりの再開。

N先生は小学校3年生の時の担任の先生。産休に入られた臨時の先生だったので、一年程で広島に帰られた。私がイジメられっ子だった事も、そして周りともちょっと違うというのを感じとっていたようで、幼い私の事をかなり気にかけてくださり、今でいうところのえこひいきをされていたと思う。(別にテストの成績をごまかしてもらったとか、そういうことではない)
臨時、だったので、一年でこの学校から去ると知った時、家で3晩、泣き腫らした。

年賀状のやりとり程度ではあったが、なんとN先生は住所だけで私の住所を訪ね歩き、二時間かけて家を突き止めたという。残念ながら私は不在で、たまたま今日は家にいた同居人にメモを託した、ということだった。

このタイミングである。死ぬ事をやめて一ヶ月経ったか経ってないくらいのタイミング。私はまだまだ自己肯定感が低く、こんな私に二時間近くも訪ね歩いて見つけてくれる人がいるんだと心の底から嬉しく思った。しかも相手はN先生。

運命の相手っているって思えた瞬間だった。N先生は絶妙のタイミングで私を助けにやってきた。

逢って話をしただけだけれど、子供だった私と、一応大人になった私。あの頃の先生から見た私を、やはりそうだったんですね、というような確認話が多かったけれども、それでもこれから鬱治していこうという私には大変な影響力を与えた。

今度は自分から逢いにきます。

そう約束してもう10年経つ。まだ果たしていない

私は日本人として広島は一度訪れなくてはと思いつつ、未だ果たしていない。

私は生きている事に意味はないと思っているが、広島を始め、行きたいところは結構あり、こうやりたいことや行きたいところがある、などは生きる上での活力となっているな、とは思う。


note (自己診断)鬱病から抜け出すまでの録ー横道ーから

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