存在を否定された子だった?!

「どうせ、だって」の言葉は他責と、自分の可能性を閉じる言葉なので速攻封印しましょう、としました。

でもどうしてもできなければその原因を探ってみましょう、と。


私もこの酷い気分の落ち込みすなわち鬱病が少なくとも過去二回あったことに思い当たり、根本原因を突き止めようと覚悟を決めました。

そして向かったのがここなら信頼できそうと見つけたとあるセラピストのところです。

何故ここで精神科という医者にいかなかったのかというと、私はとある時から何かあると「ノートに思いを書きなぐる」ということを行っていたので、この鬱病の原因の一因に「お金がない」ということが関係しているということも突き止めていて、医者というのはなるのにお金がかかることは知っていたので「(医者になれる財力のあった家庭にはなから生まれついた)医者なんかに貧乏家庭に育った私の気持ちがわかってたまるか!!」

という思いがあったからです。


私が書くことを勧める要因の一つは自分の気持ちや考え方が整理されて明確になるからです。

同じようなこと、似たようなことをに毎回頭を悩ましてぐるぐるまわっていることもあることに気づきますし、思考を一旦棚上げすることもできます。書くことで精神が落ち着くメリットがたくさんあるからです。


そしてみつけたセラピストのところで退行催眠を受けて、自分で出来る方法も教わって、過去に過去に遡っていって、とある過去に行きつきます。

この先はnoteに綴った記事から抜粋します。

鬱、始めのはじめ

物心ついてから、一番不可解だったのはあの出来事です。家は毎年年始に初詣がてら浅草にある父方の実家に行くのが通例でした。これは後々知るのですが、実は父親は長男だけれども他の兄弟姉妹達とは腹違いで、よって浅草の実家の祖母は父親にとっては継母だったのです。

それに影響を受けたのかどうかは知りません。が、いつだったか一回、私が酷くそこに行くのを嫌がり、行かなかった年がありました。記憶は断片でしかありませんが、当時の私が思っていたことは「お年玉をせびりに行くようで嫌だ」というのと「私がいない方が家族は幸せである」というもの。
何を見て、そう感じ取り、泣いて行くのを嫌がり、その年は同行しなかったのか。
ちなみにその年は姉と弟と故兄と父親が行き、後々こういう事があったと楽しそうに話すのを見て「やっぱり私がいない方が楽しい時間を過ごせるんだ」と認識を強化させてしまったのです。この出来事は小学校いくかいかないかの年齢。全然子供らしくない考えです。
ちなみにこの年が兄が同行した最後でこれ以降兄は同行する事ありませんでした。
私の記憶に、遊びに出かけた時に故兄が一緒だったことがないのです。

母親は一緒に行った事がありません。なんでも昔に行った時に祖義母に何か嫌味を言われ、それ以来行くのをやめたそうです。

随分後になって思ったのですが、いくら父親の実家とはいえ、何か手土産の一つくらい持参するものですよね?そういえば全く無かった気がします。
もう一つ。いつも15時くらいに向こうに着いて、大体19時ころにはおいとましてました。他の親戚の人たちはもっと遅く来て、私達が帰る頃もまだ居ました。
帰宅出来る距離に住んでいたから、というのもあったのでしょうけれど、他にも理由があったのでしょうか?

父親にはやはり腹違いという見えない壁みたいなものはあったようです。


「私がいない方が家族は幸せである」という無意識に沈み込んだ思考が私にはありました。

物心ついて間もない幼い私が何故こんな考えを持ったのか。

真相は正直わかりませんが、最近のわたしは「エンパス」

(エンパスとは、他者の感情やエネルギーを自分のことのように感じ取ってしまう共感力の非常に高い人のことです。)

という言葉に辿り着き、集まった親戚達かあるいは私の家族の声にはなっていない感情を感じ取ってしまったのかも、と今は思っています。

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