あるものを数えていくと、当たり前が当たり前ではないことがわかります。
当たり前ではないことがわかると、あることに感謝できます。
感謝出来るとそれを大切に扱うようになります。
大切に扱うようになるとそれが周囲にも伝わります。
そうすると周囲も大切に扱うようになります。
自分も周囲も同じように大切に扱いましょう。
ないものねだりしていませんか。もっとお金持ちの家に生まれていれば、もっと優しい両親に恵まれていれば。もっと頭がよければ。もっと都会に生まれていれば・・・。
ないものねだりばかりしていてはキリがありません。
必要最低限の稼ぎを得るためだけのバイト。当時私は某焼き肉店の調理補助のバイトでした。
付け合わせの品物の仕込み、皿洗い、簡単な盛り付け等の仕事。
始めて年月は経っていましたから、することはわかっていましたが。
鬱MAX時。
私は数さえも数えられなくなっていました。
生卵をいくつか用意しておかなければならないのですか、いくつまで数えたのかわからなくなってしまったのです、本当です。
何回も数えなおしてようやく必要30個数え終わり、私、数までかぞえられなくなってしまったんだと思いました。
幸いその症状は一過性ですぐに治まりましたが、そこから色々と気づきはじめたのです。
例えば、醤油30ccとかいてあれば量れるな、とか。
3合と書いてあれば、3合は180ccレードル三杯だな、とか。
これ、教わったからわかるわけで、教わらなかったらわかりません。
例えばもやしナムルをつくるのに手順を忘れただとか、あるいは調味料の分量を忘れてしまったとしても、レシピがあるからそれを見返せばいいんだな、だとか。
そして気づきました。
私の母親は文盲だった、と。
カタカナしか書いているのを見たことがありませんでした。それどころか計算も出来なかった、と思われます。
私が今している仕事なんて出来ないのです。
それからいままでのあれやこれやのことが全て繋がりました。
似たような食事しか出なかったのも、ハンバーグやオムライスなどは出来合いのものしか出されなかったのも、何度言っても白いものが洗濯でピンクになったりしたのも全て。
出来るはずがないのです。どんなに便利なレトルトパックがあっても、書いてあることが読めないのだから。
袋にやり方が書いてあったとしても、読めないのですからわかるはずもありません。できるはずもないのです。
いままではただひたすら教わって覚えた方法のみ、記憶だけ全てを行っていたのです。
皆が幼い頃に母親から教わるたくさんの色々なことを私はほとんど母親からは教わっていないのです。
私は読めます、書けます、計算もできます。
わからなかったら人から教えてもらうことも出来るし、自分で調べることもできるのです。
忘れたら又確認すればいいのです。必要ならば覚えるまで何度でも繰り返せばいいのです。
物覚えは良くはないかもだけど、覚えられないことはないのです。
あるものを数える、出来ることをする。出来るのだから。
世の中にはそれが出来ない人もいるのです。

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